桐生の織物・染めの歴史。
以下抜粋。
「白瀧姫」伝説
そもそも、桐生に織物工業が起こったのは一体いつからだろうか。
伝説によると今から1300年前、当時上野国山田郡(今の群馬県桐生市川内町)の山田という男子が朝廷につかえていた時に「白瀧姫」と呼ばれる官女に恋をして結ばれ、賦役を終えて後に故郷に連れ帰ったと。この白滝姫が村民に都で覚えた養蚕、機織りの技術を教えたのが、始まりという。
東大寺献物帳によると714(和銅7)年に上野の国が「あしぎぬ」を織って朝廷に献上したという記録がある。天下分け目の関ヶ原の合戦の際、徳川家康の旗布にも使われ、一躍世に知られるようになったそうだ。このときは1日で2410疋(ひき)を織ったことから、当時から少なくとも2410台の織機があったと推定されている。江戸時代後期の1738年ごろ西陣から腰掛けて織れる高機(たかはた)が導入され、紗綾織(さやおり)の技術ももたらされ高度な織物ができるようになり、織物の町としての桐生が発展したという。
だそうだ。
「西は西陣・東は桐生」そんな桐生が全盛期だった頃を見てみたい。
こういう土地柄なのか、群馬は、かかあ天下で有名なんだけど、おばあちゃんとか見てるとそれが納得出来る。商売やってるから外面は良いけど、一番怖いのはやっぱりばーちゃん達女だ。一説だと、商売やってるから、女性が財布の紐を握ってたって事からかかあ天下って言われてるらしいんだけど。
私のじーちゃんは、婿養子で染色屋に来て、何の技術も無いまま跡を継ぐ事になったそうな。何も出来ないのに肩書きは社長。従業員でもある当時は沢山いた職人さん達にいじめられていたらしい。今は一応伝統工芸師になったみたいだけど。
地元、超ローカル新聞桐生タイムスにじーちゃんの記事が載っていた。
昔は冬でも桐生川で布や糸を素手で洗ってたらしい。キュッキュッと布のこすれる音が今でも耳から離れないと言っていた。当時は自分の出したい色を出す事も難しくて、一色奇麗に染められた時の感動は忘れないと言っていた。初めてこんな話を聞いた。
あんなじーちゃんも苦労していたのかと思い、跡を継いで欲しいとしつこく言われた幼少期、本当に大嫌いなじーちゃんの気持ちが少し分かった。
昔は親の職業も、染料で汚れたお父さんの手も、染料の匂いも大嫌いだったけど、年を重ねるにつれ、好きというか興味が持てる様になってきたな。
多分それは、高校の時に似た家業の友達に出逢ったり、自分が美大行きたいと思いはじめて親元離れて浪人してた頃に、少し何かを受け入れる事が出来る様になったんだと思う。
私がこんなに桐生を愛している事、親もじーちゃんも知らない。
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